銀の街へ
日本経済新聞を購読しているにもかかわらず、今朝ポストに入っていたのは朝日新聞だった。醤油餅を朝食に食べながら読んでいると沢木耕太郎の新しい単行本「銀の街から」が発売されたことを知った。
このブログ「旅と絨毯とアフガニスタン」のタイトルは氏の「シネマと書店とスタジアム」に影響をうけた。「これさえあれば、他に何もいらない」。「旅」と「絨毯」と「アフガニスタン」は20代半ばから30代半ばの僕にとってすべてだった。旅に出ることによって世界の美しさと自分自身のちっぽけさを知った。絨毯に魅せられてその精神性とセンスにうちひしがれた。憧れのアフガニスタンでは戦争に翻弄されたどうしようもない悲しさに涙しながらも、中央アジアの渇いた大地と空とそこに生きる民に僕はたまらないほど郷愁を感じた。
旅も絨毯もアフガニスタンも縁遠くなった40代をどう生きようか。
30代後半からのキーワード。酒、料理、山、昆虫、花、樹木、本、映画・・・。ほんものってなんだろう。美しいってナンダロウ・・・。サラリーマン生活を続けることによって磨り減ってしまう感性を取り戻す術を僕は模索していている。世界はきっと美しいにちがいない。それは数千キロを旅せずとも、ローカルさのなかにこそ見いだせるものがあるにちがいない。
高校進学時に北か南かどちらかの選択肢があったが、僕は迷わず北を選んだ。それは叔父がその高校の教師をしていることもあったが、自由な校風に憧れた。そして、奈良という街に憧れた。その街でいくつかの映画を見た。まだハリウッド映画が面白かった時代だったと思う。ケビン・コスナーとロバード・デ・ニーロが好きだった。「レナードの朝」「ケープ・フィアー」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は今はなきシネマデプトで観た。「フィールド・オブ・ドリームス」「JFK」を観たのは大阪だった。梅田のなんという映画館だったのか忘れてしまったが、閉館するときに観た「ベン・ハー」はその映画を大好きだった亡き祖父の思い出につながる。
第二次世界大戦の頃、ロシアに拘留されていた祖父は無神論者であり、死んだら骨を海(川だったっけ?)に撒いてくれたらいいといっていたが、イスラエルには興味を持っていた。母が子供の頃、よく話をしてくれたらしいが、子供にとってむつかしくて理解できなかったし、知的好奇心は母に受け継がれなかったが、美意識は僕から見ても悪くないと思うものがある。祖父は自分が着るものにはかまわなかったが、母や叔母が着るものにはいろいろと口を出したらしい。「おまえにはこれが似合うよ」と子供にはいいものを着せたらしい。
あれ、何を書いているんだっけ。映画の話をしなきゃ。
北の大地で暮らした5年間。札幌駅の近くに「蠍座」という映画館があった。学生割引で2本1000円だったと記憶している。「トリコロール」「アンダーグランド」「デッドマン・ウォーキング」「コーカサスの虜」「デカローグ」「恋する惑星」「ダメージ」「死刑台のエレベーター」・・・。何を観ても面白かったが、旅の資金を確保するために観るのをあきらめたことも多かった。この映画館が近くにあれば今でも通うだろうが、残念ながら蠍座は昨年の12月に閉館された。最後に観たのは「雪に願うこと」だったと思う。仕事で札幌に2週間ほど滞在していたとき、休みの日に懐かしくて入ったのだ。何年も前に観た映画は覚えていないことが多いが、札幌でばんえい競馬の映画を観たことは忘れていなかったようだ。
銀の街。
そこには今でももうひとつの人生たちで満ち溢れている。
ここ(日常)を抜け出して、「銀の街」へこれからも何度もくり出したいと思う。
このブログ「旅と絨毯とアフガニスタン」のタイトルは氏の「シネマと書店とスタジアム」に影響をうけた。「これさえあれば、他に何もいらない」。「旅」と「絨毯」と「アフガニスタン」は20代半ばから30代半ばの僕にとってすべてだった。旅に出ることによって世界の美しさと自分自身のちっぽけさを知った。絨毯に魅せられてその精神性とセンスにうちひしがれた。憧れのアフガニスタンでは戦争に翻弄されたどうしようもない悲しさに涙しながらも、中央アジアの渇いた大地と空とそこに生きる民に僕はたまらないほど郷愁を感じた。
旅も絨毯もアフガニスタンも縁遠くなった40代をどう生きようか。
30代後半からのキーワード。酒、料理、山、昆虫、花、樹木、本、映画・・・。ほんものってなんだろう。美しいってナンダロウ・・・。サラリーマン生活を続けることによって磨り減ってしまう感性を取り戻す術を僕は模索していている。世界はきっと美しいにちがいない。それは数千キロを旅せずとも、ローカルさのなかにこそ見いだせるものがあるにちがいない。
高校進学時に北か南かどちらかの選択肢があったが、僕は迷わず北を選んだ。それは叔父がその高校の教師をしていることもあったが、自由な校風に憧れた。そして、奈良という街に憧れた。その街でいくつかの映画を見た。まだハリウッド映画が面白かった時代だったと思う。ケビン・コスナーとロバード・デ・ニーロが好きだった。「レナードの朝」「ケープ・フィアー」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は今はなきシネマデプトで観た。「フィールド・オブ・ドリームス」「JFK」を観たのは大阪だった。梅田のなんという映画館だったのか忘れてしまったが、閉館するときに観た「ベン・ハー」はその映画を大好きだった亡き祖父の思い出につながる。
第二次世界大戦の頃、ロシアに拘留されていた祖父は無神論者であり、死んだら骨を海(川だったっけ?)に撒いてくれたらいいといっていたが、イスラエルには興味を持っていた。母が子供の頃、よく話をしてくれたらしいが、子供にとってむつかしくて理解できなかったし、知的好奇心は母に受け継がれなかったが、美意識は僕から見ても悪くないと思うものがある。祖父は自分が着るものにはかまわなかったが、母や叔母が着るものにはいろいろと口を出したらしい。「おまえにはこれが似合うよ」と子供にはいいものを着せたらしい。
あれ、何を書いているんだっけ。映画の話をしなきゃ。
北の大地で暮らした5年間。札幌駅の近くに「蠍座」という映画館があった。学生割引で2本1000円だったと記憶している。「トリコロール」「アンダーグランド」「デッドマン・ウォーキング」「コーカサスの虜」「デカローグ」「恋する惑星」「ダメージ」「死刑台のエレベーター」・・・。何を観ても面白かったが、旅の資金を確保するために観るのをあきらめたことも多かった。この映画館が近くにあれば今でも通うだろうが、残念ながら蠍座は昨年の12月に閉館された。最後に観たのは「雪に願うこと」だったと思う。仕事で札幌に2週間ほど滞在していたとき、休みの日に懐かしくて入ったのだ。何年も前に観た映画は覚えていないことが多いが、札幌でばんえい競馬の映画を観たことは忘れていなかったようだ。
銀の街。
そこには今でももうひとつの人生たちで満ち溢れている。
ここ(日常)を抜け出して、「銀の街」へこれからも何度もくり出したいと思う。
by charsuq
| 2015-02-08 23:25
| 銀の街へ
|
Comments(2)
いつか また どこかで
by charsuq
トライバルラグの販売サイト
オールド・アンティークのトライバルラグ&テキスタイルを販売しています。非売品もあり、ほとんどは値段を表示していませんが、お気軽にお尋ねください。Gallery Forest
1.私へのメールはこちら。その際はタイトルに「旅と絨毯とアフガニスタン」の文字を入れてください。そうでなければ見ずに削除してしまうかもしれません。
2.写真の無断転載禁止。
1.私へのメールはこちら。その際はタイトルに「旅と絨毯とアフガニスタン」の文字を入れてください。そうでなければ見ずに削除してしまうかもしれません。
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