系統と分類
猿沢池の近くの路地で黒い蝶が地面に近いところをふらふらと飛んでいた。ひらひらという感じではなく、その飛行はとても力がなく見えた。そばにいた初老の男性も気になったのだろう。ふたりでしばらく蝶の行動を観察していた。
「こいつは水が飲みたいんかのう?疲れとるんかのう?」
とおっさんはしゃがみ込んで眺めている僕に尋ねた。
「さあ、どうなんでしょうね。もしかするとこの場所が好きなのかもしれませんよ」
と僕は答えた。
僕は蝶を眺めながら札幌で絨毯屋を営む佐藤さんのことを考えていた。あれは僕が長い旅から帰ってきてすぐに札幌に遊びに行ったときのことだった。多国籍料理店「パザール」の常田さんに僕が絨毯やキリムを好きになりできればそれを仕事にできないだろうかと話したことがはじまりだった。「そういや、この前クエッタに行ったとき、絨毯を商売にしているひとに会ったよ。それがさあ、俺の義父の教え子だったんだよ。そのときは義父もいたから盛りあがったんだ。彼は佐藤さんといってカイバルコレクションという店を持っているよ。よかったら訪ねてみればいいじゃない」と住所を教えてくれた。
その店に行ってみた。なかに女性のかたがおられたが、佐藤さんはあいにく不在だった。しかし、関西で近々展示会をされるとお聞きしたので、そこでお会いできる日を楽しみにしていた。そのときもらったDMにはこのようなことが書いてあった。
「何故絨毯が好きになったのかと、質問されることがあります。僕なりに考えたところ、昆虫採集が好きだったことと無関係ではないようです。蝶や蛾の羽根は大変に美しいものです。それは多様な色彩と紋様とで構成されているという意味において、絨毯やキリムと似ています。さらに、稀な物、美麗な物を入手したいというコレクターの心理においても、共通点がありそうです。
しかし、最も重視したいのは次の点です。
例えば、蝶の紋様は多種多様ではありますが、全くデタラメに何でもあるという訳ではありません。標本を採集して、似たものと似ていないものに分けていく作業を分類といいますが、蝶は分類ができるのです。分類ができる理由は、デタラメなものが混じっていないからです。分類によって系統が明らかになりますが、系統というのは進化の歴史に結びついていきます。
絨毯やキリムにも分類があり系統があるという点が、生物である蝶や蛾に似ていますが、この点が芸術家の手による勝手なデザインとは一線を画するものです。
絨毯やキリムの柄は地域や部族の歴史に結びついているもののはずで、これは僕の空想ですが、遠くは、遥かな昔、何千年前か何万年前かは知りませんが、羊の群と人類とが行動を共にしはじめた頃にまで、遡るのではないでしょうか。」
当時もぼんやりとではあるが、これが意味するところを少しは感じていたと思う。もちろん、完全に商業主義で織られているものの一部はこれに当てはまらないのだろう。
展示会は心斎橋筋にある丸善の二階でされていた。マイマナの6平米のキリムは今でも覚えているが、そのほかではっきりと文様まで覚えているものはほとんどない。10年も昔のことでもあるが、まだそのころは絨毯やキリムのことをあまりわかっていなかったからなのかもしれない。そんなに売れているようでもなかったが、こんなものを商売にできるうらやましさを感じていた。しかし、僕にはそれで食べていく!という確固たる信念がなく、結局あきらめることになる。
二年前、札幌に出張した際に休日が取れたので「カイバルコレクション」に遊びに行った。いろいろと見せてもらい「ああ、こういうものを持っておられるのか」と再確認すると同時に「よく絨毯だけで食べていけているなあ」とあらためて思うのだった。
「ねえ、予定がなかったら今晩飲みに行かない?北二十四条あたりでさ」
とお誘いを受けたのだが、佐藤さんのほうが突然予定が入ってキャンセルになった。それから休みが取れないまま関西に戻らなければならなくなり、佐藤さんの「今晩あたりどう?」という電話をいただいたのは、ちょうど関空に着いたときだった。
それから連絡をしていないが元気にされているのだろうか。何故かこういうことが蝶を見て思い出された。また、この黒い蝶が「パザール」に敷かれている黒色を基調としたアフガン西部のアドラスカーンのキリムを思い出させた。
「さあ、飛べ!飛べ!」
とおっさんは両手を下から上に振り上げてその黒い蝶を煽っていた。
「こいつは水が飲みたいんかのう?疲れとるんかのう?」
とおっさんはしゃがみ込んで眺めている僕に尋ねた。
「さあ、どうなんでしょうね。もしかするとこの場所が好きなのかもしれませんよ」
と僕は答えた。
僕は蝶を眺めながら札幌で絨毯屋を営む佐藤さんのことを考えていた。あれは僕が長い旅から帰ってきてすぐに札幌に遊びに行ったときのことだった。多国籍料理店「パザール」の常田さんに僕が絨毯やキリムを好きになりできればそれを仕事にできないだろうかと話したことがはじまりだった。「そういや、この前クエッタに行ったとき、絨毯を商売にしているひとに会ったよ。それがさあ、俺の義父の教え子だったんだよ。そのときは義父もいたから盛りあがったんだ。彼は佐藤さんといってカイバルコレクションという店を持っているよ。よかったら訪ねてみればいいじゃない」と住所を教えてくれた。
その店に行ってみた。なかに女性のかたがおられたが、佐藤さんはあいにく不在だった。しかし、関西で近々展示会をされるとお聞きしたので、そこでお会いできる日を楽しみにしていた。そのときもらったDMにはこのようなことが書いてあった。
「何故絨毯が好きになったのかと、質問されることがあります。僕なりに考えたところ、昆虫採集が好きだったことと無関係ではないようです。蝶や蛾の羽根は大変に美しいものです。それは多様な色彩と紋様とで構成されているという意味において、絨毯やキリムと似ています。さらに、稀な物、美麗な物を入手したいというコレクターの心理においても、共通点がありそうです。
しかし、最も重視したいのは次の点です。
例えば、蝶の紋様は多種多様ではありますが、全くデタラメに何でもあるという訳ではありません。標本を採集して、似たものと似ていないものに分けていく作業を分類といいますが、蝶は分類ができるのです。分類ができる理由は、デタラメなものが混じっていないからです。分類によって系統が明らかになりますが、系統というのは進化の歴史に結びついていきます。
絨毯やキリムにも分類があり系統があるという点が、生物である蝶や蛾に似ていますが、この点が芸術家の手による勝手なデザインとは一線を画するものです。
絨毯やキリムの柄は地域や部族の歴史に結びついているもののはずで、これは僕の空想ですが、遠くは、遥かな昔、何千年前か何万年前かは知りませんが、羊の群と人類とが行動を共にしはじめた頃にまで、遡るのではないでしょうか。」
当時もぼんやりとではあるが、これが意味するところを少しは感じていたと思う。もちろん、完全に商業主義で織られているものの一部はこれに当てはまらないのだろう。
展示会は心斎橋筋にある丸善の二階でされていた。マイマナの6平米のキリムは今でも覚えているが、そのほかではっきりと文様まで覚えているものはほとんどない。10年も昔のことでもあるが、まだそのころは絨毯やキリムのことをあまりわかっていなかったからなのかもしれない。そんなに売れているようでもなかったが、こんなものを商売にできるうらやましさを感じていた。しかし、僕にはそれで食べていく!という確固たる信念がなく、結局あきらめることになる。
二年前、札幌に出張した際に休日が取れたので「カイバルコレクション」に遊びに行った。いろいろと見せてもらい「ああ、こういうものを持っておられるのか」と再確認すると同時に「よく絨毯だけで食べていけているなあ」とあらためて思うのだった。
「ねえ、予定がなかったら今晩飲みに行かない?北二十四条あたりでさ」
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それから連絡をしていないが元気にされているのだろうか。何故かこういうことが蝶を見て思い出された。また、この黒い蝶が「パザール」に敷かれている黒色を基調としたアフガン西部のアドラスカーンのキリムを思い出させた。
「さあ、飛べ!飛べ!」
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by charsuq
| 2008-05-31 07:06
| 絨毯 キリム
|
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by charsuq
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オールド・アンティークのトライバルラグ&テキスタイルを販売しています。非売品もあり、ほとんどは値段を表示していませんが、お気軽にお尋ねください。Gallery Forest
1.私へのメールはこちら。その際はタイトルに「旅と絨毯とアフガニスタン」の文字を入れてください。そうでなければ見ずに削除してしまうかもしれません。
2.写真の無断転載禁止。
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