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チェイシング・アフガン その1

 以下は手織絨毯研究会に提出した、昨年のGWの旅行記です(一部、修正しています)。
関空-ドバイ(アラブ首長国連邦)-テヘラン(イラン)-マシュハド(イラン)間は飛行機の移動でもあり、省略しています。これからアフガニスタンのヘラートに入り、カンダハールからパキスタンのクエッタに陸路で移動し、カラチ-ドバイ-関空と飛行機で戻ってくるという旅でした。短い旅でしたが、原稿は実にのんびりと書いてますので、続きは気長に待っていてください。

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■ マシュハド(イラン) / 2005.4.30

 初めて訪れるこの街で、僕は知人の親友に会いたかった。詳しい地図や住所はなかったが、だいたいの場所を聞いていたので、30分くらいでその小さな工房を探すことができた。彼は想像していたよりも精悍であった。まずは簡単な自己紹介をしてから、その四畳くらいの工房でチャイをご馳走になりながら、修復の仕事を見学させてもらったり、マシュハドやヘラートの情勢について聞いたりしながら、次第に打ち解けていった。

 「その左肩にあるキズはどうしたんですか?」と白いタンクトップであったため、むき出しになっていた傷跡が気になっていたのだ。「うん、イラン・イラク戦争の時に俺はソルジャーだったんだ。これはその時に負傷したんだ。ほれ、ここにもあるんだぜ」と足の傷跡も見せてくれた。そのあまりにも予想外の答えに僕が言うべき言葉をさがしていると、彼は「なあ、今晩時間ある?よかったらうちにご飯を食べに来ないか?」と誘ってくれた。その日は大阪-ドバイ-テヘラン-マシュハドと飛行機を乗り継いで夕方に到着し、それからホテルにバックパックを置いてすぐ出てきたので、本当はくたくたで早く寝たかったけれども、明日はヘラートに行く予定であり、彼とは今度いつ会えるかわからないので、この申し出にはありがたく受けることにした。「ヤス、って名前やったね?悪いけど俺は8時まで仕事するから」「わかりました。僕はハラムを見たいし、シャワーを浴びたいし・・・。8時にまたここに来ます」と言って彼と一旦別れた。

 シーア派8代目のイマームであったレザーの聖墓を中心とした宗教施設の複合体である「ハラメ・モタッハル広場」はイランだけではなく近隣諸国からも巡礼者が訪れる聖域だ。それがどれほどのものか興味があり中に入ろうとしたら、荷物チェックされカメラの持ち込みは禁止であり、荷物置き場に預けてきなさいと言われてしまった。そんならいいや、縁がなかったんだ、とあっさり諦め、シャワーを浴びるためにホテル_といっても一泊400円もしない安宿だが_に戻った。シャワーを浴びて、洗濯を済ませてから、ホテルのオーナーにヘラート行きの手段に関して相談したところ、どうやら、バスよりもタクシーのほうが断然早いし、国境付近の治安も全く問題ないようであった。
 「明日はヘラートだ」と胸をときめかせながら階段を駆けおりて、再び街に出た。夜風が心地よく、道行く人たちは華やいだ雰囲気で幸せそうだった。これからの旅のために下痢止めの薬を購入したり、アイスクリームを食べながら商店や人々を眺めたりしながら、彼の仕事が終わるまで時間をつぶした。

 街に公衆電話があり、市内バスに乗るときはチケットを事前に買い求め、バス停できちんと人々が待っていることに少なからず驚いた。その後にアフガン国境でも両国の違いを体感するのだが、イランにはそれなりの秩序があることを改めて実感した。この街は聖地であるためだろうか、夜になっても市内の中心部では人通りが多く、外国人の僕が歩いていても全く危険を感じず安心していられる雰囲気がある。アフガニスタンからパキスタンに戻ってくると「パキって、文明世界やな~。道路は舗装されているし、夜も明るいし・・・」と感じるのだが、イランはそれ以上であった。

 彼の仕事が終わり、その日は僕がいるからバスに乗って市の南西部のサンギー地区にある彼の自宅に向かった。「ホシュ・アーマディード(ようこそ、いらっしゃいました)」と彼の奥さんがちょっとはにかみながら迎え入れてくれた。彼より10歳くらい年下の彼女はまだ若く、おそらく僕と同じ年齢であろう。10代前半の頃に彼と結婚したそうだが、その想いはどんなものであったのだろうか?一人の男の妻として、三人の子どもの母親としての彼女の人生は、僕とは比較にならないくらい苦労の連続であったことだろう。見ず知らずの外国人を何の見返りもなく暖かく迎えてくれた彼らに感謝して、彼らの家庭がこれからも平穏で幸せに満ちたものであってほしいと、願った。
 奥さんが作ってくれた夕食の豆とチキンの煮込みはおいしく、旅ではひとりで食事をすることが多いので、今夜は誰かと一緒にいただけたことは大変ありがたかった。それから帰るまでのあいだ、絨毯のこと、イラン経済のこと、生活のこと、いろいろと話しをしていた。
 「近頃、外国人があまりマシュハドに来ないからなのか、絨毯が以前より売れないんだ。そのために、俺たちの修復の仕事も減って、同業のやつらは他の仕事にかわったんだ。俺はこれしかできず、他に技術がないから、実入りのいい仕事に就くのは難しいんだ。」「収入の割にものが高く、日々の生活にいろいろとお金がかかるんだ」話しをしている最中でも、まだ自力で歩けない赤ん坊を抱きしめ、キスをしてかわいがる父親としての素顔を眺めながら、生活は楽ではないかもしれないが、そこにあるまっとうさを心地よく感じていた。

 タクシー交渉までしてくれた彼と、また会う日を願って別れた。夜の11時だというのに街は明るく人通りも多かったので、出歩いても危なくないだろうと判断し、「ハラメ・モタッハル広場」に行ってみようかなという気になった。安いだけに英語が通じないのが難点であるが、「ダレ・ホテル・サーアテ・チャンド・バジャ・バスタ・ミーシャワッド?(門限は何時なんだい)」とダリ語で尋ねると、わかってくれたようで12時までホテルが開いていることを確認して、また外に出かけた。
 まず、その広さに度肝を抜かれたけれども、それ以上にライトアップされたモスクの宝石のような美しさに呆然としてしまった。こんな場所があったんだ、あまり期待していなかっただけに、僕にとってはうれしい誤算であった。出来れば光り輝くモスクの中に入りたかったが、警備員がいたため、勝手に入ってはトラブルになるかもしれないと感じ「僕はムスリムではありませんが、イスラームに興味を持っています。ここは大変美しく、できれば中に入りたいのですが、異教徒の僕でも大丈夫ですか?」とダリ語で尋ねてみた。しかし、「異教徒はダメなんだ」とあっさり断られてしまったが、警備員は「お前外国人なの?」という感じだったので黙って入ってもばれなかったかもしれない。次に行ったときはトライしてみよう。

 もし、逆ルートでアフガニスタンのハードな旅を終えて、マシュハドの街とライトアップされたイマームレザー廟を見たとしたら、僕はおそらく涙を流してしまうかもしれないな。それほど、このイマームレザー廟のある広場は素晴らしかったし、聖地であるがゆえにそこに集う多くの人がかもし出す雰囲気も僕の心をとらえたような気がする。大都会であるが、清潔感があり、人の表情にもどこか和らいだ印象を受けるこの街を僕は好きになった。

 「ありがとう」ヘラートに行くために立ち寄ったこの街での半日があまりにもハッピーであったことに感謝して、その日は満ち足りた気分でベットに横たわった。

チェイシング・アフガン その1_f0057070_1958541.jpg

(つづく)
by charsuq | 2006-02-10 20:01 | | Comments(2)
Commented by orientlibrary at 2006-02-11 13:49
マシュハド、イマームレザー廟、行ってみたくなりました。個人の旅行記ってなかには読むのがきつくなるものもありますが、charsuq さんの記事は臨場感があって読みやすいし、光景が視覚的に残ります。本を読んでいらっしゃる方の文だなあと思います。つづきが楽しみです。ゆっくりで結構ですので、またご紹介ください。 ところで、上の修復している男性は、ハザラの方ですか? 顔立ちが東洋ですね。
Commented by charsuq at 2006-02-11 18:43
そうですか、機会がありましたら是非訪れてみてください。僕はあまり建築物に魅了されるほうではありませんでしたが、夜の広場、特にイマームレザー廟にはしびれました。fukuyamaくんの原稿は読みやすいと言われますが、それはボキャブラリーの少なさと平易すぎる文体を指摘されているようで・・・。これは何度も書きなおしたものでして、最初は人前に出せるものではありませんでした。最近は通勤電車で読む時間が増えましたが、あまり難しいものは読んでいないんですよ。年相応の教養は身につけておきたいと焦っています。写真の彼はtribeさんの親友でして、トルクメン系とうかがったことがあります。このような人たちも暮らしているため、マシュハドは日本人にとっても落ち着く街のような気がしました。今日はorientlibraryさんのブログを全て読もうとしたのですが、2005年の11月までしかさかのぼれませんでした。その好奇心と情熱に圧倒されてしまいました。また拝見させていただきますね。


いつか また どこかで


by charsuq

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