ベシールの絨毯から始まること
これは「じゅうたん会議 vol.24」に書いた原稿。写真は省略。
------------------------------------------------
僕が「日本手織絨毯研究会」に入会したのは、あることでSさんにメールしたことからだった。面識もない僕に対してずいぶんと丁寧に答えてくださった。その際にいくつか自分で調べてもわからないことを聞いたのだが、そのひとつが「Beshir(ベシール)」というトルクメン絨毯についてだった。僕が持っている資料にはトルキスタンにベシールという町が存在すると書かれてあったが、地図上で探しきれなかったのでそれがどこにあるか教えて欲しいという内容だった。そのときはSさんもベシールという町が存在するという認識がなかったのだが、最近の「HALI」でアムダリア周辺にあるベシールの町(村?)の位置をようやく確認できたのだった。
僕はベシールの礼拝用絨毯を見たことがある。
当時は知らなかったのだが、今になってそれがどれほど貴重な絨毯であったのかがわかり、もっと一生懸命見ておけばよかったと後悔している。それを見たのは1998年のパキスタン・クエッタのある絨毯屋だった。「ヤス、いい絨毯があるんだ。どこのものだと思う?」とパシュトゥンの友人サレに尋ねられた。
その頃はどこのものかわからず、彼と一緒にジナーロード沿いの書店に行き、それに似ているのがないか探した。ある本にそれを見つけたのだが、そこには「トルクメン、ベシール」と記載されていた。絨毯屋の友人もトルクメン絨毯であることは知っていたがベシールのものであったことを知らなかったようだった。
そのとき値段も聞かなかったのだが、手のとどく値段でまだ彼が持っていれば買いたいと思い、昨年カブールで聞いたところ「あれはお前に見せたあとにイスラマバードでアメリカ人に8,000ドルで売ったよ」ということだった。ずいぶんと高い気もするが、そのアメリカ人はイタリアにその絨毯を持っていったところ24,000ドルで買いたいと言われたそうだ。なんだか桁違いの世界にも思えるが、それが素晴らしい絨毯の評価なのかと認識した。それと同時に僕がそれを日本に持ってきたとしても、一部の人は興味を持つだろうがそんな値段で売買が成立することはほとんど不可能ではないだろうかと思った。
それにしてもベシールのものであることすら知らなかった絨毯屋の友人がその希少さを感じて、うまく売ったことには「さすが商人だなあ」と関心したのだった。
この「ベシール・プレイヤー・ラグ」に関して「HALI_151」に絨毯コレクターで「Caucasian prayer rugs」の著者であるRalph Kaffel氏の記事がある。
今でも謎を含んでいるベシール絨毯であるが彼はベシール絨毯を「BeshirやKerkiなどのアムダリア中域の村で織られた絨毯」であり、「ブハラや周辺の裕福層、他のイスラーム世界に輸出のために織られたものではないか」という見方をしている。そして「エルサリトルクメンとこの地域に移植してきたサロールトルクメンが織り手」であったのだろうと彼らは考えている。つまりエルサリ系のサブトライブ名としての「ベシール」を否定している。
ベシールの絨毯には「Cloud band」デザインと呼ばれる絨毯もある。
「Cloud band」は「雲の帯」?。雲には見えないし、手持ちの資料に書かれてある「馬蹄形のモチーフを組み合わせた連続文」という説明にもいまいち納得できない。これはどう見ても「蛇」だ!。インターネットで検索していたら「Yilan 」という表現があった。それはトルコ語で「蛇」。「双頭の蛇」そんなものは存在しないのだが、どうも土着的な信仰のようなものがあるように思える。ウズベキスタンで購入したスザニにも蛇のような文様があったし、刺繍されたベルトの文様はまさに蛇であった。
蛇が世界各原始民族に崇拝された理由は次の三つに帰せられるようだ。
①外形が男根相似(生命の源としての種の保持者)
②脱皮により生命の更新 (永遠の生命体)
③一撃にして敵を倒す毒の強さ (無敵の強さ)
蛇が頭・胴・尾をくねらせたようなS字形の「S」がベシールの絨毯を見せてくれた「サレ」とその町の位置について尋ねた「Sさん」のイニシャルがお互い「S」であったことも面白い。
蛇が蛇を呼び、龍を呼ぶわけではないのだが、蛇に興味を持ってから読んだ「龍の棲む日本」に、「<日本>の龍は蛇体をとることがあり、龍蛇とも称すべき姿をしていた」とある。また「龍の姿が見えなくても、その存在を中世の人々に実感させたのが、黒雲であり雷雲や雷光であった。黒雲が空を覆ってくると、そのなかに龍を見たのである」とも。西洋の人達がベシール絨毯の「cloud band」のなかに龍を見たのか定かではないが、東洋にはまだ龍蛇信仰が残っていることは確かだと思う。
その本を読んでから僕は盆休みを利用してインドネシアに行った。バリ島のウブドというところに滞在していたのだが、広場に人々が集まって綱引きをしていた光景を何度か目にした。注連縄をからみあった蛇に見たてたように、この綱引きという行為にも蛇信仰があるのではないか、そんなことを考えていた。
滞在中にインドネシアのテキスタイルを少しでも見ておきたいと思い、いくつか店を回っているときにスンバ島の女性用腰布に目を奪われた。文様が面白かった。「龍」と「鹿」がからみあった姿で布地に古い貝殻を刺していた。最近気になっていた龍(蛇)と僕の住む奈良の象徴である鹿が織り込まれている!。これは買うしかないと思い値段交渉を始めた。裕福な人々のもの、ラジャの妻や親族のものだと思う。それほど古いものではなくせいぜい数十年といったところだと思うのだが、なかなか手に入らないものだから、と言って値段は思うように下がらなかった。数日間ねばったがそれ以上下がるようになかったので、結局その値段で買うことにした。
吉野裕子さんの「蛇_日本の蛇信仰」には僕の住む奈良県磯城郡のある所は最も蛇信仰の濃厚なところであると書かれている。「田原本町 鍵・今里の蛇巻き」がそれで、五穀豊穣と住民の無災を祈る神事で、麦わら・稲わらで蛇を作り少年が担いで行列するという何とも奇妙な祭りであるようだ。その行事のなかで見たてた蛇を引っ張りあうことがあり、鳥居から出てから綱引き大会が始まるらしい。やはり綱引きは蛇信仰と関係があるようだ。面白そうじゃないか、来年は是非この行事を見に行こうと思う。
絨毯は空を飛ぶ(?)んだけど、異界や大地を支配する龍や蛇が「龍穴」のような穴を通って西アジア・東南アジアから僕の住む奈良にやって来ることもあるのだろうか。
こんなふうに想像が広がり、遠く広い世界を思い巡らせるのは、絨毯自体が持つ不思議な力が脳のある部分を刺激するからなのかもしれない。そんな力のある絨毯には必ずといっていいほど、織り手の気持ちやその時代の気分といったものが内包されているように思う。そんな絨毯やものにひとつでも多く出会うことができれば、もっと面白い世界が広がるにちがいない。
【参考文献】
「蛇_日本の蛇信仰」 吉野裕子 講談社学術文庫
「龍の棲む日本」 黒田日出男 岩波新書
「HALI_148、151」
「The oriental rug lexicon」 Thames and Hudson
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/event
------------------------------------------------
僕が「日本手織絨毯研究会」に入会したのは、あることでSさんにメールしたことからだった。面識もない僕に対してずいぶんと丁寧に答えてくださった。その際にいくつか自分で調べてもわからないことを聞いたのだが、そのひとつが「Beshir(ベシール)」というトルクメン絨毯についてだった。僕が持っている資料にはトルキスタンにベシールという町が存在すると書かれてあったが、地図上で探しきれなかったのでそれがどこにあるか教えて欲しいという内容だった。そのときはSさんもベシールという町が存在するという認識がなかったのだが、最近の「HALI」でアムダリア周辺にあるベシールの町(村?)の位置をようやく確認できたのだった。
僕はベシールの礼拝用絨毯を見たことがある。
当時は知らなかったのだが、今になってそれがどれほど貴重な絨毯であったのかがわかり、もっと一生懸命見ておけばよかったと後悔している。それを見たのは1998年のパキスタン・クエッタのある絨毯屋だった。「ヤス、いい絨毯があるんだ。どこのものだと思う?」とパシュトゥンの友人サレに尋ねられた。
その頃はどこのものかわからず、彼と一緒にジナーロード沿いの書店に行き、それに似ているのがないか探した。ある本にそれを見つけたのだが、そこには「トルクメン、ベシール」と記載されていた。絨毯屋の友人もトルクメン絨毯であることは知っていたがベシールのものであったことを知らなかったようだった。
そのとき値段も聞かなかったのだが、手のとどく値段でまだ彼が持っていれば買いたいと思い、昨年カブールで聞いたところ「あれはお前に見せたあとにイスラマバードでアメリカ人に8,000ドルで売ったよ」ということだった。ずいぶんと高い気もするが、そのアメリカ人はイタリアにその絨毯を持っていったところ24,000ドルで買いたいと言われたそうだ。なんだか桁違いの世界にも思えるが、それが素晴らしい絨毯の評価なのかと認識した。それと同時に僕がそれを日本に持ってきたとしても、一部の人は興味を持つだろうがそんな値段で売買が成立することはほとんど不可能ではないだろうかと思った。
それにしてもベシールのものであることすら知らなかった絨毯屋の友人がその希少さを感じて、うまく売ったことには「さすが商人だなあ」と関心したのだった。
この「ベシール・プレイヤー・ラグ」に関して「HALI_151」に絨毯コレクターで「Caucasian prayer rugs」の著者であるRalph Kaffel氏の記事がある。
今でも謎を含んでいるベシール絨毯であるが彼はベシール絨毯を「BeshirやKerkiなどのアムダリア中域の村で織られた絨毯」であり、「ブハラや周辺の裕福層、他のイスラーム世界に輸出のために織られたものではないか」という見方をしている。そして「エルサリトルクメンとこの地域に移植してきたサロールトルクメンが織り手」であったのだろうと彼らは考えている。つまりエルサリ系のサブトライブ名としての「ベシール」を否定している。
ベシールの絨毯には「Cloud band」デザインと呼ばれる絨毯もある。
「Cloud band」は「雲の帯」?。雲には見えないし、手持ちの資料に書かれてある「馬蹄形のモチーフを組み合わせた連続文」という説明にもいまいち納得できない。これはどう見ても「蛇」だ!。インターネットで検索していたら「Yilan 」という表現があった。それはトルコ語で「蛇」。「双頭の蛇」そんなものは存在しないのだが、どうも土着的な信仰のようなものがあるように思える。ウズベキスタンで購入したスザニにも蛇のような文様があったし、刺繍されたベルトの文様はまさに蛇であった。
蛇が世界各原始民族に崇拝された理由は次の三つに帰せられるようだ。
①外形が男根相似(生命の源としての種の保持者)
②脱皮により生命の更新 (永遠の生命体)
③一撃にして敵を倒す毒の強さ (無敵の強さ)
蛇が頭・胴・尾をくねらせたようなS字形の「S」がベシールの絨毯を見せてくれた「サレ」とその町の位置について尋ねた「Sさん」のイニシャルがお互い「S」であったことも面白い。
蛇が蛇を呼び、龍を呼ぶわけではないのだが、蛇に興味を持ってから読んだ「龍の棲む日本」に、「<日本>の龍は蛇体をとることがあり、龍蛇とも称すべき姿をしていた」とある。また「龍の姿が見えなくても、その存在を中世の人々に実感させたのが、黒雲であり雷雲や雷光であった。黒雲が空を覆ってくると、そのなかに龍を見たのである」とも。西洋の人達がベシール絨毯の「cloud band」のなかに龍を見たのか定かではないが、東洋にはまだ龍蛇信仰が残っていることは確かだと思う。
その本を読んでから僕は盆休みを利用してインドネシアに行った。バリ島のウブドというところに滞在していたのだが、広場に人々が集まって綱引きをしていた光景を何度か目にした。注連縄をからみあった蛇に見たてたように、この綱引きという行為にも蛇信仰があるのではないか、そんなことを考えていた。
滞在中にインドネシアのテキスタイルを少しでも見ておきたいと思い、いくつか店を回っているときにスンバ島の女性用腰布に目を奪われた。文様が面白かった。「龍」と「鹿」がからみあった姿で布地に古い貝殻を刺していた。最近気になっていた龍(蛇)と僕の住む奈良の象徴である鹿が織り込まれている!。これは買うしかないと思い値段交渉を始めた。裕福な人々のもの、ラジャの妻や親族のものだと思う。それほど古いものではなくせいぜい数十年といったところだと思うのだが、なかなか手に入らないものだから、と言って値段は思うように下がらなかった。数日間ねばったがそれ以上下がるようになかったので、結局その値段で買うことにした。
吉野裕子さんの「蛇_日本の蛇信仰」には僕の住む奈良県磯城郡のある所は最も蛇信仰の濃厚なところであると書かれている。「田原本町 鍵・今里の蛇巻き」がそれで、五穀豊穣と住民の無災を祈る神事で、麦わら・稲わらで蛇を作り少年が担いで行列するという何とも奇妙な祭りであるようだ。その行事のなかで見たてた蛇を引っ張りあうことがあり、鳥居から出てから綱引き大会が始まるらしい。やはり綱引きは蛇信仰と関係があるようだ。面白そうじゃないか、来年は是非この行事を見に行こうと思う。
絨毯は空を飛ぶ(?)んだけど、異界や大地を支配する龍や蛇が「龍穴」のような穴を通って西アジア・東南アジアから僕の住む奈良にやって来ることもあるのだろうか。
こんなふうに想像が広がり、遠く広い世界を思い巡らせるのは、絨毯自体が持つ不思議な力が脳のある部分を刺激するからなのかもしれない。そんな力のある絨毯には必ずといっていいほど、織り手の気持ちやその時代の気分といったものが内包されているように思う。そんな絨毯やものにひとつでも多く出会うことができれば、もっと面白い世界が広がるにちがいない。
【参考文献】
「蛇_日本の蛇信仰」 吉野裕子 講談社学術文庫
「龍の棲む日本」 黒田日出男 岩波新書
「HALI_148、151」
「The oriental rug lexicon」 Thames and Hudson
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/event
by charsuq
| 2007-11-17 13:13
| 絨毯 キリム
|
Comments(0)
いつか また どこかで
by charsuq
トライバルラグの販売サイト
オールド・アンティークのトライバルラグ&テキスタイルを販売しています。非売品もあり、ほとんどは値段を表示していませんが、お気軽にお尋ねください。Gallery Forest
1.私へのメールはこちら。その際はタイトルに「旅と絨毯とアフガニスタン」の文字を入れてください。そうでなければ見ずに削除してしまうかもしれません。
2.写真の無断転載禁止。
1.私へのメールはこちら。その際はタイトルに「旅と絨毯とアフガニスタン」の文字を入れてください。そうでなければ見ずに削除してしまうかもしれません。
2.写真の無断転載禁止。
カテゴリ
全体自己紹介
My collection
絨毯 キリム
アフガニスタン
Photo album
じゃらんじゃらん
ブータン
旅
染織と民族衣装
雑記
奈良のこと
美術館 博物館 イベント
読書灯
登山 大峰山系
登山 台高山系
登山 葛城・金剛・紀泉
登山 鈴鹿山系
登山 近畿その他
登山 あれこれ
植物
昆虫
樹木
樹に咲く花
山と野に咲く花
動物 鳥
シダ
食
酒
虫こぶ
イモムシ
きのこ
猫
日本酒(家飲み)
日本酒(外飲み)
銀の街へ
男子の厨房
家族
以前の記事
2024年 03月2024年 01月
2023年 11月
2023年 08月
2023年 07月
more...
お気に入りブログ
イスラムアート紀行部族の絨毯と布 caff...
奈良今昔物語
日本酒のおと
最新のコメント
今週は二日もお会いしまし.. |
by charsuq at 08:57 |
今日日本酒と私でご一緒さ.. |
by fmyr1107 at 21:17 |
鍵コメント様 ok。ま.. |
by charsuq at 20:35 |
奥羽自慢をブログで紹介し.. |
by 奥羽自慢 at 08:35 |
やまぞえくん やっぱ、.. |
by charsuq at 22:15 |
蠍座には私も足繁く通って.. |
by やまぞえ at 00:11 |
じんじさん、僕が1歳のと.. |
by charsuq at 22:19 |
74年に外語卒業前に初め.. |
by じんじ at 11:59 |
じんじさんは猫好きだった.. |
by charsuq at 20:44 |
私が勝っていた猫は白いヒ.. |
by じんじ at 23:08 |